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年輪

このページは、私の雑感です。今年75歳になりましたが

この写真の樹にはまだまだ及びません。

大昔から時の権力者は、永遠の生命獲得と 歳を重ねる事に不安を抱いていました。

人も生物である以上寿命の存在から逃れることはできません。

一生を終えてしまう死とは それほどまでに忌み嫌われなければならないのでしょうか ?

私はまだ経験したことがありませんのでコメントできませんが、

少なくとも現在置かれている生き方については はっきりとした意志を持っています。

高齢者が誰しも経験する体力の衰えと、どのように向き合っていったらよいのでしょう。

体力の衰えとは自分の可能性が減ってしまう事を意味するのでしょうか。

私自身体中のあちらこちらに不具合を抱え 時に気力すら失せてしまう事があります。

毎日自分の机とベットの往復が日課となった状況の中で、ふとその状態が

人の生き方に及ぼす影響を考えてしまうようになり、このサイトにも雑感として

書き留めておこうと思い立ちました。

私は若いころ大病を患いましたが、それ以降の人生は何事もなく、むしろ

健康の事は何一つ気にしないで生きてきて、

つい最近まで自分が高齢者の仲間入りをしている感覚が持てませんでした。

さすがに最近ちょっとした病が原因で自分の体力がいっぺんに地の底へ

落ちていくような感覚を味わっています。

周りの知人も気が付いてみればあの世の人となり、いやが応でも自分の立場を

考えざるを得なくなりました。

実は私現役のプロダクトデザイナーです。

結構毎日それなりに忙しい日々を送っていますが、事が行き詰まるとつい

自分の年齢のせいに責任を転嫁するようになってしまいました。

しかしその思いを持つのも一瞬で 頭が少しおかしくなったのか、

自分が高齢者であることを忘れていた日々をすぐに思い出し 心にふいた風は

何処かえ吹き飛んで行ってしまうのでした。

考えてみれば私には、まだまだやらねばならないことが山積みされています。

連れ合いの事、子供達、孫の事心配事は尽きず 

ただ自分がそこに存在している事だけで きわどいバランスが保たれているような錯覚を

毎日のように覚えていました。

そうなんです。人とはやらねばならぬことが多ければ多いほど

生き抜かなければならない現実を突き刺すように感じてしまうのでした。

それが積み重なって 生なけれならない意思につながっているのだと思っています。

私ばっかりではありません。どのような境遇に置かれていても、自分がやるべきことは

すべてなくなったと思うのは大間違いです。

貴方には知人はいませんか。その人から見た貴方は何一つ必要とされていないのでしょうか。

仮に関わる人がだれ一人いなかったとしても

貴方を全く知らない人にとって貴方の存在が無意味なわけはありません。

人という生物は決して一人では生きられず、無意識の内に他人の存在を必要としているのです。

社会の存在が生きる絶対の条件なのです。

私は伝道師でも賢者でもありませんが、このグローバルバランスの必要性を固く信じています。

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