隣の芝生

最初にお金の話をして、私をケチな性分だとみるでしょうか?

巷に言う裕福な暮らしを享受している方から見れば そのように見えるかもしれませんが

この問題は他人から見てどのように見えるかではなく、

自分自身でいかように感じるかが大切なのです。

私は幸いにして他人の目をほとんど気にしない性分です。

自分が心から豊かになれたと感じれば それで大満足です。

人は誰しも単独では生きられません。社会の一員であることが絶対の条件で、

その中で他人とのかかわりあいをいかにコントロールしているか、できるかを考えてみましょう。

隣の芝生は青い、と一般には感じると思いますがその比較する気持ちは何処から起こるのでしょう。

羨ましいという感覚を持つ事だけでは悪い事とは思いませんが 

それを妄想にまで発展させることの危険性に気付いてほしいのです。

隣の人と比較する事にどれだけの意味があるのでしょうか。

もしかしたら 羨ましいという気持ちが 自分の向上心につながる場合もあるかもしれませんが、

そもそも私自身は他人と比較する必要性をほとんど感じていません。

だって人それぞれなのですから。言い換えれば自分にしかない特技特徴が必ずあるはずで、

又多くの局面で他人より劣っていることも現実です。

まずその違いが認識できれば 比較する無意味を少しは理解できるのではないかと思います。

ここでもう一度 事足りている事、感謝の気持ちを思い出してください。

仮に自分が劣っていると感じる部分を見つけてもそれはあなたの特徴の一つです。

大切な個性です。人の尊厳、気付いてみれば自分の尊厳をしっかりと認識してください。

私は幸いにも外見から見る限り五体満足です。

もし片足や指1っ本でもかけていたら人としての価値が失われるのでしょうか。

近い将来国内でのパラリンピックが開催されます。

テレビでもアスリートの活躍ぶりが毎日のように放映されています。

彼らを見て 五体満足な私の方が人として優れているとは到底考えられません。

さて、本題の生きがいを見つけるには

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